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記憶を遡ってバレンタインデーを殺す

今年は誰にもチョコレートを用意していない。会社にも親戚にも夫にも何も贈らない。

チョコレートは好き。たまには高級なチョコレートを買ってじっくり味わって食べるのも良いけれど、それはバレンタインじゃなくていい。バレンタインにしか来日しないショコラティエのことはもう諦める。

 

もうずっとやめたかったしやめても良かったんだと、やめたら気付いた。弟へのバレンタインは去年から示し合わせてやめている。去年は楽天でチョコレートを注文して送付先に祖父母や実家の住所を直接指定した。メッセージは別途ポストカードを作って送った。それ以前は毎年デパートの催事フロアを歩き回ってチョコレートを買っていた。父には母が喜ぶような可愛いものを、弟には少し変わっていても特徴あるものを、祖父母と父の恩師には日持ちして、食べやすくて、華やかで、奇をてらわない、あまり高すぎないものを選んで買って、メッセージを書いて、梱包して発送して「届いたよ」の電話を受けることでやっとバレンタインの務めは終わる。夫へのチョコレートはほとんど自分へのご褒美のようにいちばん食べたいものを買って半分くらい私が食べてしまうのだけど、夫からのホワイトデーのお返しが無くて毎年ケンカになった。私はバレンタインでこんなに大変な思いをしているのにあなたは私一人にお返しすれば良いのにそれさえもしてくれないの?

 

実家を出る前はチョコレートを買ってメッセージを用意するところまでだった。梱包と発送は母が行い、届いたよの電話も家の固定電話に来ていた。父と弟のぶんは買ってきてピアノの上に置いておくだけでよかった。

社会人1年目、バレンタインをスルーした私に母がキレた。その前に私は祖父母の古希祝いを仕事で欠席しており、母は私からということにして夫婦茶碗を贈ったらしく、それも合わせてひどく責められた。常識がないとなじられ、感謝の心がないと人間性を否定され、給料の使い方まで徹底的に叩かれた。翌日バレンタインチョコレートが撤収されたデパートで冷たい汗をかきながら父と弟へのお菓子を買って、以降バレンタインチョコレートの調達は私の役目になった。

 

学生時代ー大学、高校、中学校、小学校、物心ついてからずっとバレンタインのチョコレートにつける手紙を書かされていた。2月になると母がチョコレートを買ってきて私にバレンタインだからおじいちゃん達に手紙を書いてと言う。私は何を書くか悩みながらも毎年便箋を埋める。梱包の差出人には私の名前。

推測だが、おそらく母はお年玉のお礼としてバレンタインチョコレートを贈り始めたのだろう。お年玉は子供がいる者同士なら相殺できるが、そうでなければ貰いっぱなしになる。それでは収まりが悪いと考えたのかもしれない。ついでに上の世代に馴染みのないような返し方をすることで気が利いていると思われたかったかもしれない。

だが、そうだとして、その務めを娘の私が負わねばならなかっただろうか。弟はバレンタインの手紙を書かされたことなどなかった。

 

いま現在、実家との関係は良好だ。母に買ってもらった大きすぎる雛人形を眺めながら、今年はバレンタイン無理ですと電話したら気にしてたのねと笑って許された。できるときで良いよと言われた。二度と贈ることはないと思う。娘にもそんな義務は負わせない。

 

贈り物は贈りたいひとが贈ればいいのだ。贈らなければならないなんてことは絶対にない。義務感でしてきた贈り物はずっと苦しかった。父の恩師とのやり取りには良い記憶もあるけれど、それでももう戻りたくない。

 

※会社のバレンタインは毎年「今年はどうします?」「やんなくて良いよね…」でスルーしており、今年も無事にスルーできそう。