円都空間in犬島

結論から言うと犬島に円都はあらわれなかった。
なんでこの内容で円都の名前を使ってしまったんだろう…ステージの上にイェンタウンは居なかった。ステージの周りにもイェンタウンは無かった。

 

以下、敬称略です。
まず会場そのものにイェンタウンの要素がなくてがっかりした。ディズニーランドやUSJみたいに映画の世界を体験できると期待してしまっていたから。そこまでとは言わなくともイェンタウンをモチーフにしたインスタレーションがあっても良かったんじゃないか。
それでも公演はイェンタウンのライブなのだと思って待った。しかし始まってみれば全然イェンタウンじゃなかった。かっちりオシャレにキメた演奏者、朗読、黒い幕に投影される詩。リリィシュシュや安藤裕子ACIDMANはその見事な歌唱力でYEN TOWN BANDの曲を歌うわけではなく、イェンタウンとして歌うわけでもなかった。やっと第6章になってグリコが登場し、すこしだけ歌ってまた下がってしまった。
素晴らしいパフォーマンスだったけど、そのパフォーマンスは彼ら演者だけのものだった。ステージに上がるとき降りるとき彼らはこちらを見ない、曲の終わりもどこなのか判然としない、突然に表示される章タイトル、やけに遠いステージ。観客はむしろ排除されていたような気さえする。何か参加できる手掛かりがあっても良かったのではないか。
一般的に演奏という行為には表現の要素とファンサービスの要素がある。私はイェンタウンのファンとして犬島まで駆けつけたけど、イェンタウンのファンを楽しませるためにやってるわけじゃない、ということを突きつけられた感じ。

幸いなことに、犬島そのものはとても楽しかった。今回、夫に娘を頼んで一人で来たということもあってほかの島はまわれないけど、もっとほかの島も見たい。

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映画の公開から長い時間が経って、それは、たとえば高校の頃の友人が10年後に会っても共通の話題がなくて誰とでもできるような会話しかできなくなるような、いつのまにか共有できなくなってしまっていた想いを、回顧ではなく現在形の想いを、これからも一人で抱えていく。