ぐんまのやぼうに感謝している、心から

昔、iPhoneでぐんまのやぼうというゲームが流行りました。今もアプリは存在するし、Switchとかでも遊べるみたいです。しかし当時はとにかく流行っていてiPhoneを使っている友達なら一度はインストールしたことがある、という感じでした。なんだか当時はアメリカンドリームというか、アイディアとタイミングを掴んでiPhone向けアプリの開発でひとやま当てるみたいなことが現実的だったと思います。

 

私も遊びました。人より結構長く遊んでいました。遊び方はシンプルで、群馬県の絵の上に生えてくる名産品を指でなぞって収穫します。ある程度たまったらガチャを回して、群馬県の市町村が出てきて、市町村のコンプリートを目指します。お金のかからないゲームです。集めるものも群馬県の市町村なので思い入れが無く、何が出ても「ヘェ〜」という感じです。それなのに、このガチャがだんだんつらくなってしまった。高崎が出ない。せめて前橋と思うのに前橋も出ない。館林ばかり10個も出る。もう館林は要らない。また館林が出る。館林の四角いフォルムが憎らしくなってくる。友達は高崎が出たようだ。やっと前橋が出て嬉しく思うものの、その次にはまた館林。なんの思い入れも無いはずの群馬の市町村に、なぜこんなにも心をかき乱されねばならないのか。どうしてわざわざ自分の時間をつかって苦い思いをせねばならないのか。

或る日、ようやく独り相撲の愚かさに気付いて、ぐんまのやぼうを止めることができました。最初は楽しく遊んでいたはずなのに、私を苦しめたのはガチャでした。私にはガチャ耐性が無い。そのことを思い知らせてくれたのはぐんまのやぼうです。

 

年月が流れ、今やガチャはイラストを集めてコンプリートさせるだけのものではなく、ストーリーを読むためや戦力増強のために回すものだと聞きます。目的のものを出すために何万円も使ったという話をカジュアルに目にするたび、この人たちはガチャ耐性がある人たちなのだろうな、と思います。私には耐えられないと思う。高崎や前橋ではなく本当に欲しいキャラクターがあって、いくらもかけずにそのキャラが出たと喜んでいる人々を横目に、何万円も身銭を切っていく……想像しただけで胸が苦しくなります。

良かった。本当に好きなキャラクターで思い知らされることなく、群馬県の市町村で自分のガチャ耐性の無さを知ることができて、本当に良かった。ありがとう、ぐんまのやぼう。あなたのおかげで私はソシャゲになったキャラクター達を憎まずにいられます。